ジョジョ展 in S市杜王町 〜 宮城県三陸町

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ずっと待ちにまっていた
ジョジョ展 in S市杜王町
に行ってきました

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大好きな漫画家、荒木飛呂彦先生の
日本初原画展@仙台です。

過去に、茨城県で2枚程の桜をモチーフにした絵の展示があり、
原画を見た事があったんですが、
今回は展示数が100超えです。
しかも、荒木先生の故郷である、宮城県仙台市での開催です。
今回の仙台での展示は、震災からの復興への思い、
他県からもたくさんの人が集まって、
仙台を盛り上げたいという願いが込められています。

お金のない貧乏旅行なので、18切符で乗り継いで
行きました。
1日目は乗り継ぎに失敗したりと
結構時間がかかってしまい、始発で出て、着いたのは夕方でした。

途中でなかなか降りる事のないだろう
「湯本駅」や「福島駅」やらで途中下車し、
地元の食べ物を食べて、ゆったりした旅の中での
仙台到着でした。

貧乏旅行なので、宿はネットカフェでした。
でもネットで仙台の情報は調べられるし、
フリードリンクだし、僕にとっては快適でした。

2日目。昼から展示会場であるメディアテークへ。。
大きなカバンを持っていたので、コインロッカーに預けようと
考えてたのが間違いでした。。
僕の考えでは、だいたい美術館などはコインロッカーがあるもんです。
大きな荷物やら不要な物を展示会場に持ち込んで、
作品にダメージを与えないように。
出来るだけ身軽になって、見てもらう為に。
でもメディアテークにはロッカーがありませんでした、
過去にはあったようです。
その「過去にはあった情報」が余計に混乱の元になり、
駅とメディアテークを行ったり来たりして
くたくたになりました。。
事前にコインロッカーをちゃんと調べとくべきでした。

でもなんとか会場に入れて、結構ゆったり、余裕のある中で
絵を見る事が出来ました。
本当に圧倒されて、何度もすごいなぁ。ってつぶやいてました。
特にジョリーンが木に座っている絵が、
すごく明るくて、光にあふれてる感じで好きでした。
全体的に6部の絵は好きなものが多かったです。

デビューの初期から最近の絵まで見て感じたのは、
また最近の絵が変わってきてる事。
まだまだ完成じゃなくて、いろいろ試して
チャレンジしてるんだなというのが
最近の絵を見て伝わってきました。
すごく充実した展示を見る事が出来て
本当に来て良かったと思いました。
原画を見る機会は今後も限られるだろうから、
見たいと思う時に見よう、また機会が出来たら
見たい!と思いました。

それから夜まで少し時間があったので、
電車で松島まで行きました。
日本三景。前にも一度来た事があります。
松島に着くと、前に来た時と変わらないようでした。
ここには地震の、つなみの被害はなかったのかな、
松島の島々に守られたのかなって思いました。
でも散策を続けていると、
お店のひとつ、店先のドアに線が引いてあって、
1m30とありました。
そこまで水がやってきたと書いてありました。
すっかり店内は奇麗になってましたが、
1年かけてこうやってお店出来てるんだろうなと思いました。
そう思って見てみると、いくつかシャッターが閉じたままの
お店の跡もありました。

3日目、また朝早く起きてネットカフェを出て、
こうじさんと合流しました。
こうじさんは、僕たちのマーチの撮影の時にスタッフとして
参加してくれた人で、現在は地元・宮城で仮設暮らしです。
もともと旅好きで、各地を巡って生きているこうじさんは、
撮影時も東京に滞在中で、撮影のお手伝いをしてもらっていました。
震災の時にはまた旅に出て北海道にいたようです。

被災地を案内してくれるとの事で
車で仙台まで迎えに来てもらって、
こうじさんの現在の住まい目指して車に乗り込みました。

最初、立ち寄ったのが東松島。
津波で壊された家たち。
まだ片付けの済んでいない、残された廃屋がたくさん残ってました。
そして、石巻へ。。
ここも言葉が出ないくらいの状況でした。
こうじさんが言うには随分片付けが進んでいるので、
当時の生々しさが薄れていると言ってました。
1年経っても手つかずの所は、所有者が行方不明のままだったり、
権利関係が分からなくなっていて壊せなかったり
するようです。
石巻の門脇小学校前にも来ました。
ここは津波と火事にもあい、
校舎が黒く焦げていました。
もちろん津波が来た跡が残っていて、
校庭にひまわりが咲いていました。
ひどい状況になっているから、
少しでも良い景色という意味で、ボランティアの人が
種を撒いたのかなと思いました。
ひまわりはそうだろうけど、
こうじさんが言うには、植物がすごく強くて、
種撒いてなくても勝手に花が咲いてる
と言ってました。
実際、建物が流されて、一面の広い土地になっていて、
「ここに家が建っていた」とか「街があった」とか
想像しにくいのは、
植物とか花がいっぱい咲いてて、
建物があった痕跡が薄く見えるからでした。
でも、よく見ると花の根本には家の基礎部分がぼろぼろになって
見えていました。

ちょうど僕らが来たときに、
校庭で野球がはじまりました。
小学生と大学生の野球。
ボランティアとして、中部学院大学の野球部の人達が
来て、校庭を整備したり、野球を教えるという活動。
素晴らしいなと思いました。

そして、また車を走らせて被害の大きかった大川小学校へ。
ここは本当にひどい状況で呆然としました。
コンクリの建物が、こんなにも弱々しい感じで無惨な姿になるのか
と思いました。
こうじさんが、「ここはシンボリックだから、たくさん
県外からも人が来る」って言ってました。
ここにもひまわりとともに慰霊碑があって、ひっきりなしに
人が来ては手を合わせていました。

そこからさらに南三陸町へ。

ここはそれまでの場所とはかなり
違ってました。
本当に広い土地が広がっていて
ぽつんぽつんとビルが残っている。
あとは何もなくて花がそこらじゅう咲いてる。
鉄骨だけになってしまったビルがいくつか残っていました。
街がまるごとなくなっているというのが
良く分かりました。
南三陸町でお昼を食べたんですが、
そこのお店で南三陸町出身の写真家が
出した写真集が置いてありました。
最初は昔からの伝統行事や
お祭りの写真。
そして震災、津波の写真。
何もなくなった広い土地にたって呆然としてる人や
泣いている人の写真。
そこには
「レンズを向けてごめんなさい」
と書いてありました。
とても真摯で誠実な言葉だと思います。

僕は新生活のエンディング撮影の為に、
カメラを持ってきました。
悲惨な被災地を撮るという意味ではなく、
生活、日常が撮りたくて。
でも仙台に着いてからどこにカメラを
向けたらいいのか分かりませんでした。
こうじさんが、田んぼの事を教えてくれました。
被災地を巡っている間、新しく田んぼが、
稲が実って、お米が出来てる。
当たり前に見てた一面の田んぼも、
津波で流されて、海水の塩で土地が駄目になって、
砂から泥から全部入れ替えて、それでやっと今の田んぼに
戻ったんだと。。
なので、まだ手つかずで荒れた「田んぼ跡」もたくさんありました。
もうやめてしまった人もいる。
けど、もう一度やるって思って、
全部入れ替えて、稲が実ってる。
それ見て、力強いなぁって、すごく感動しました。
植物の力強さは被災地を見て改めて感じたけど、
人間だって。。
もう帰りの時間が迫っていてバタバタだったけど、
田んぼを撮りました。

早朝から約8時間、ずっと車で巡ってくれた
こうじさんに感謝してます。
最後、松島の駅でも、電車に乗って見えなくなるまで
見送ってくれました。すごいあったかいなぁ。大好きです。

被災地を巡っている間、新生活の事を考えました。
何かを言う、表現する事も暴力の部分があると
改めて感じてます。
希望だ、明日だ、前を向いて、、
何だかんだ言ったって、大切な人が亡くなってしまった
人にとって、そんなものが救いになりえるのか。
もし僕の家族やったら、恋人やったら。。
電車に揺られながら
頭の中でぐるぐる回っていました。
でもそれは自分の人生の中で起こる様々な事を経ないと
結局分からないと思ってます。一生の宿題です。

今回の旅で、本当にいろいろ考える事がありました。
被災地への支援は自分の出来る事を
小さな事でも積み上げていこうと思いました。

そして、改めて自分は、
「日常」を大事にしていきたいと思いました。